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ホームページ   http://waterb.jp
e-mail  yo_kai_yf6@me.com

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water bear

Author:water bear
大阪市北区中崎西(中崎町)にあるギャラリーです。お世話になった現代美術への恩返しとして若い現代アート作家を応援します。ウォーター・ベアは、環境ストレスへの驚異の耐性を持つくまむしさんのことです。
また、まちライブラリーとして図録数百冊を自由に見ることができます。
お申込みは、アドレス:yo_kai_yf6@me.com へお願いします。
URL : http://waterb.jp


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「尾崎翠を読む」3冊のこと

「尾崎翠を読む」講演編Ⅰ・Ⅱ 新発見資料 親族寄稿 論文編 尾崎翠フォーラム実行委員会編集 今井書店
が、刊行されました。

20160324尾崎

尾崎翠の出身地・鳥取で2001年から昨年まで毎年「尾崎翠フォーラム」というイベントが開催され、各回ごとに報告書が発行されていました。
その報告書の主なものを再編集したもので、昨年の15回で幕を閉じたフォーラムの集大成ともいえます。

20160324尾崎2

このフォーラムの大きな特徴は、3冊目に親族寄稿とあるように、親族や実行委員を始めとする鳥取の人々など、作家と親しかったり、同じ土地に生き、同じ景色を見、同じ水を飲んだ人々が大きくかかわっていることです。
作家の人柄や土地の空気などは、いくらブッキッシュな知識を積上げても、なかなかわからないものです。

尾崎翠は、1920年代から30年代にかけて、文学史的には新感覚派から新興芸術派の時代、いくつかの時代を超える珠玉の作品を書くが、薬に依存するようになり幻覚を見るようになるにいたって、鳥取に連れもどされる。
その後は、創作をはなれ、鳥取で一生を終えた。
という略しすぎの略歴からは、鳥取に連れ帰った長兄が軍人だったこともあり、「家父長制の犠牲になった悲劇の天才」といったイメージが生まれてきます。

しかし、親族や地元の人の目からみるとどうも違う。
鳥取での後半生は、決して座敷牢に幽閉されていたわけではなく、生活者として元気に暮らしていたようです。
そして、作風から想像される小柄で繊細なタイプではなく、大柄で肝っ玉母さんふう、かつドライというか合理的な考えをする人だったようです。

また、このフォーラムでは、「第七官界彷徨」の重要な脇役ともいうべきコケの研究者の講演や同時代の映画を弁士つきで上映したり、シンガーソングライターのミニコンサートがあったり、一般の学会では考えられない程バラエティに富んでいます。
もちろん、それぞれが尾崎翠につながっていくのですが、こんな柔軟さがフォーラムの魅力の一つでした。

最終回となった昨年の講演は、音を聞いて色を感じるといった「共感覚」をキーに宮沢賢治の作品と比較したものでした。
同じ1896年生まれの二人に「第七官」にも通じる「感覚」についての共通点があるとしたら、興味深いものです。

もう一人1896年生まれの村山槐多は早く亡くなったからにせよ、生没年が同じ久野豊彦や、新興芸術派の代表作家ともいうべき龍胆寺雄なども文学・創作から離れていきました。
また稲垣足穂が長い雌伏を余儀なくされていたのは、よく知られています。

何年かさかのぼりますが、美術界でも同じように、村山知義を中心に三科やMAVOなどで活躍した作家たちが美術から離れていきました。(美術の場合は、時代が少し早かったせいか、芸術の前衛から政治の前衛へ、プロレタリア美術に流れていったひとたちもいます。)

時代が戦争に向かってきな臭くなってきたということもあるかもしれませんが、何より彼らの作品が時代のはるか先を行くものだったからにちがいありません。
今やっと、時代が追いついたというところでしょうか。

さらに、宮沢賢治=農学、久野豊彦=経済学、龍胆寺雄=医学といったように様々なバックグラウンドをもった作家たちが活躍しています。
また、映画や写真・蓄音機・ラジオなどメディアが大きく広がり、実験的な作品が作られたのもこの時代の特徴でしょう。

フォーラムの成果がこうして3冊にまとめられ入手しやすくなることで、この時代の文学や芸術の恐ろしく多様な可能性について、まだ途についたばかりの研究に大きく貢献するものと信じます。
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尾崎翠フォーラム活動終了!

今年の7月にあった第15回尾崎翠フォーラムの報告集が届きました。
封筒を開けてびっくりしたのは、15回でフォーラムを終了するというあいさつ状でした。
何でも来年のはじめに、15年間のフォーラム内容を3巻の本にして活動を終わるとのことです。

20151226尾崎フォーラム2

最後の報告集です。
表紙に宮沢賢治がのっているのは、賢治と翠の比較、それも最近よく聞く共感覚をキーワードとした発表があったからです。
ちなみに、去年はヴァージニア・ウルフでした。

このように、毎回ユニークなプログラムが組まれています。
同時代の無声映画の上映が弁士付きであったり、ミニコンサートや「第七官界彷徨」にちなんでコケの講演と、毎回工夫されたバラエティに富む内容でした。

20151226尾崎フォーラム1

このフォーラム特徴のひとつは、地域密着というか、作家の親族も多数巻きこんでいるところです。
尾崎翠に興味をもった人がほぼ必ずはまる、「このまま死ぬんだったらむごいものだねえ」説や「後半生生きる屍」説をあっさり否定できるのも、実際近くで暮らしていて人柄を熟知している人がたくさんいるからでしょう。

来年(2016年)は、尾崎翠生誕120年になります。きっと記念の大きな企画になるだろうから、ぜひ参加しようと考えていたのですが残念です。

来年の記念事業は生誕地の岩美町で開催されるそうです。
去年のヴァージニア・ウルフと比較した発表では、岩美とウルフが少女期に夏を過ごしたセント・アイヴスとの類似が指摘されていました。
セント・アイヴスといえばアートの世界では、バーバラ・ヘップワース、ベン・ニコルソン、ナウム・ガボなどで知られており、民芸運動のバーナード・リーチが窯を開いた所でもあります。
イベントの内容はわかりませんが、興味のある方は参加されてはいかがでしょうか。

***

まちライブラリー@ぎゃらりー ウォーター・ベア では、尾崎翠フォーラムの報告集を1回目から全15冊揃えています。ご自由にお読み下さい。

追悼:松岡昭宏(大阪文学学校・大阪編集教室の創立者)

松岡昭宏さんが亡くなりました。
どうして知ったかというと、このブログのアクセス解析を見ていて、10月16日の検索キーワードに「松岡昭宏 死去」という検索語が入っていました。

おやと思って検索してみると、デジタル版の新聞記事などが出てきました。
いくつか見ましたが、いずれも簡単なものでした。

大阪文学学校(以下、文校)のブログに、若干のいきさつが載っていました。
それによると、10月12日に亡くなって、遺族から15日夕方、文校に連絡がありました。
その後、文校から各新聞社に連絡し、一部の新聞には17日の朝刊に掲載されたそうです。

ここでまた「おや」と思いました。17日の朝刊を読むのは17日以降のはずです。
16日に誰が検索したんだろう?
よくよく見てみると、デジタル記事は、16日23時14分の配信になっていました。

今(24日午後)グーグルで検索してみると、ウォーター・ベアの記事は、9ページ目に出てきます。
もちろん生前に書いた記事なので、検索では後回しにされます。
でも、その時は亡くなったことが行き渡ってないはずなので、もう少し上に出てきたものと思われます。

で、ここからが本題です。
多くの記事にあるように、
「文校の設立に尽力した」とか「小野十三郎とともに」といった曖昧な言い方ではなく、
(もちろん、どちらも間違いではないですが)
『大阪文学学校をつくったのは松岡昭宏だ』と声を大にして書こうと思いました。

しかし、以前に書いた文章を読み返してみて、言いたいことは、ほぼ言い尽くしているので、リンクするだけにしておきます。
ここをクリック

「文校をつくったんはボクや」
「えっ、小野十三郎じゃないんですか?」
といった、やりとりから始まった会話が、昨日のことのように思い出されます。

合掌

梶井基次郎の文学碑

ひと月程前に、キンドルを買い、主に青空文庫の作品を読んでいます。
牧野信一など、興味深い作家の作品がかなり収録されていて、初めて読むものも再読のものもありますが、楽しい読書時間を過ごしています。
その中でも特によく読むのが、「檸檬」をはじめとした梶井基次郎の作品です。
べつにレモン色(アマゾンではシトラスといっている)のケースを買ったからではありません。

そのうち、「檸檬」のなかで画集の上に置いたレモンを爆弾に見立てた、京都の丸善がBALの地下に復活した、というニュースが流れました。
カフェには、レモンケーキがあり、レモン色の文房具セットも販売しているそうです。
そして、客が持参したレモンを置くカゴが準備されており、京都市長が最初に置いたという話には、笑いました。

その後松阪に行く機会があり、城跡公園にある梶井基次郎の文学碑を見てきました。

20150907梶井碑1

「城のある町にて」は、この町に住む姉の家で過ごした一夏の経験をもとに書かれた、彼の作品としては、おだやかな作品です。
作中、何回か城跡に上って町並みを見下ろすシーンがありますが、碑も町を見下ろす月見櫓跡に立てられていました。

20150907梶井碑2

昭和49年に立てられたもので、
碑文は、共に同人誌「青空」を創刊した、親友の中谷孝雄の筆によります。

20150907梶井碑文

「今、空は悲しいまで晴れていた・・・」
残念ながら、この日は、本当に悲しいまでに曇っていて、やがて降り出しました。


大阪に帰ってから、大阪にも碑があったことを思い出して、靭公園へ撮影に行きました。

20150911梶井碑2

都心にある数少ない緑の公園なので、昼前なのに散歩したり休憩する人がたくさんいました。

碑は石の一部をピカピカにみがいて、そこに碑文が書かれています。
見る角度により印象が変わってきます。

20150911梶井碑1

碑文は「檸檬」から採られています。
「びいどろと云ふ色硝子で・・・」前後の文脈からは、とぎすまされた神経による病的な感覚の一環として、描かれていますが、ここだけ抜き出すと単なるノスタルジックな幼少期の回顧とも読めます。

20150911梶井碑文

こちらは、昭和56年の建立です。
碑の横には簡単な説明板があり
「短い自らの生命の輝きを洗練された詩的な文章で「檸檬」以下の珠玉の短編に書き残した」と簡潔に書かれています。

大谷晃一の「評伝 梶井基次郎」によると、高松塚の発掘で知られる網干善教と梶井はいとこ同士だったそうです。


あと、梶井の碑としては、伊豆の湯ケ島にもあるらしいですが、そちらには(というより伊豆には)行ったことがありません。
もし行く機会があったらアップします。

1965年没の文学者

この前、中勘助と谷崎潤一郎が同じ1965年に亡くなったと書きました。
調べてみると、この年、他にも大物が多く亡くなっています。

江戸川乱歩、高見順、梅崎春生、山川方夫・・・いずれも個人全集が発行されている有力作家です。
江戸川乱歩賞、高見順賞のように有名な賞に名前を残す人もいます。

著作権の保護期間は、没翌年の1月1日を起点として50年間です。
つまり、これらの作家の著作権は今年末で切れることになります。

青空文庫の作業中のところを見ると、谷崎や乱歩はずらりと題名が並んでいます。
中勘助や高見順のように数点しかない人もいますが、無料で読める電子書籍作品が、一気に相当数増えることになります。

実は今から、まずこれとこれを読もうとチェックしているところです。
それにしても気になるのが、TPP交渉のことです。
死後70年も著作権を保護する必要があるのでしょうか。知ってる人もほとんどいなくなっているでしょうに。
それから、もし70年にするとして、50年以上70年以下のものをどうするのか、といった問題もあるでしょう。
交渉の動きをみまもっていきたいと思います。

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