没後20年 具体の画家ー正延正俊 展
西宮市大谷記念美術館
「具体の画家」とわざわざ頭についているのは、いまいち知名度が低いからでしょうか。
たしかに、元永、白髪、嶋本、村上、田中、金山といった具体の顔のような人々に比べあまり知られていません。また今名前をあげた人たちのように、すぐ代表作を思い浮かべることも出来ません。
チラシにあるように代表作を集められたのだとすると、作風もかなり大きく変わっています。
が、それは芸術家としての良心のあかしかもしれません。
まず1950年以前は、対象を大きくデフォルメした形象を構成に配慮して配置した具象画。51年にキュビスム風作品が見られ、しだいに抽象化してゆきます。
そして1954年の具体結成の頃には、ほぼ完全に抽象画ばかりになります。
60年前後は、小さい形が画面の中に遠慮がちにひしめいていましたが、63年頃には形を作っている線が重なりだします。
60年代半ばには、細い線が自由に動きだし、画面をリズミカルにほとばしるようになります。
このあたりの絵を見るとウキウキした気分になります。
70年の作品では、よりカラフルになった線が重なり奥行きを持ちはじめますが、黒でびしっとまとめています。
さらに70年代半ばでは黒でまとめずに線をより自由に飛ばしています。
正延正俊というと太い古代文字のような形を並べた作品がよく展示されているような気がしますが、こちらの細い線の作品も楽しいです。
画家もキャリアを積んで自分の型が出来てきてそのスタイルが代名詞のようになってくると、そこから出るのがむつかしくなります。さらに画商やコレクターもそれを要求するようになるので自由な芸術活動がますます困難になります。
そこで、その型に安住するタイプ・・・一般的には「道を極める」といいます。
と
次々にスタイルを変えるタイプ・・・一般的には「節操がない」などと言われることもあります。
この文は、特定の人を批判するつもりで書いているわけではありません。
ただ、正延正俊の場合、都会的でしなやかに自分のスタイルを変えていった後者のタイプじゃないかな、というのがこの展示を見ての感想です。
もっと評価されていい人ではないでしょうか。
きのう書いた横尾忠則のピカソを見た時の衝撃や引退宣言…にも通ずるものがあるかと思います。